セブからホーチミンへ


セブに引き続き日本の協力がインフラに。


例のごとく成田で地球の歩き方を買うくらいの準備・・・。我らがベトゴーが2012年版にのってました(笑)
http://www.vietnam-go.com/


アジアらしくバイクだらけ。排気ガスは結構なつらさ。50ccじゃなく125ccくらい?
価格もあるんだろうけれど、政治でこういう現象ひとつがかわったりするんだろうね。
バイク=ホンダといわれるくらいホンダのバイクが多い。いまはヤマハもはいってきてるけれど、ヤマハのホンダっていわれるくらいみたい(笑)
ホーチミンはドイモイ(刷新)政策の最たるところで、ほかは見られなかったけれどきっと感じが違うんだろうなぁと想像。

Wikipediaによると対米接近ということ。それでもまだ日が浅いこともあってほかのアジアよりはまだアメリカのにおいが少ない気がする。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0#.E6.94.BF.E6.B2.BB

ベトナム政府は経済、外交などで対米接近を基本政策としており、ジョージ・W・ブッシュ大統領の来訪も大歓迎している。対米関係への配慮から戦争中の枯葉剤などについても、あえて『民間団体』に担当させて、政府は正面に出てこないくらいアメリカに気を遣っており、一般のベトナム人も経済向上のためにはアメリカとの関係を緊密にするべきだと感じ、アメリカの観光客、企業代表などを熱く歓迎している。米軍に侵攻され多大な被害を受けたにもかかわらず、政府・国民とも親米的な珍しい例である[10]。2010年8月には国交復活15周年を記念し空母ジョージ・ワシントンがダナンを訪問した。しかし、薬品会社は未だ枯葉剤問題に対して棄却し未解決であり、アメリカに激しい憎しみを持つ者も存在する。

戦争証跡博物館









戦争証跡博物館で、若いアメリカ人がきていたのはいいことだなと思った。
日本の戦場カメラマンの写真も多く、たまに日本語も併記されている。マングローブの森が枯葉剤で全滅したこの写真はぼくがうまれた1976年。

枯葉剤の影響はいま3世代目にまで影響が大きく残っている。写真でいろいろみるとつらい。いまの日本の原発問題とリンクして考えると寒気がした。

■たべもの



セブではあたたかいスープに麺という組み合わせがほぼなかったので、たのしみにしていたフォー。
どっさり香草がでてくる。パクチーはあんまり好きじゃないのだけど、あんまりくせがない葉っぱだったなぁ。なんだろうこれ。なんにしてもおいしくて、2日で3回も同じ店で食べてやっと飽きた(^-^;


メジャーなところも食べようということで、ベトナムの米粉お好み焼き。これはうまかった!


サイゴンビール。333のほうが日本では有名かな。サンミゲルよりすこしコクが深い気がする。


きりが良くないダイソー。ペソは約2倍すればよかったけど、ベトナムドンは1000ドン=約4円で計算しにくい。

セブでもタクシーで2倍くらいのぼったくりはあったけど(わかって払った)、ベトナムではメーターがおかしいスピードになったりと激しい。日本円だとまぁともかく、豪雨に紛れて一度いい金額をはらっちゃった。なんかこういうのちょっとへこむ。


三つ星のジュニアスイート。でもひとり一泊3,000円くらいw


ホテルがバックパッカーが集まるあたりのとおりにあってにぎやか。路地らしい路地。こんな路地に数百円くらいの宿がいっぱい。


ネコはどこでもかわいい。セブでは犬の方がずいぶん多かったなぁ。


なんかあんまり写真がないけれど、中央郵便局とか教会とかホーチミン中心にあるものはぶらぶらしてきました。あとはもうちょっと周辺を。ハノイとかいったらまた全然雰囲気違うんだろうなぁと思いつつ、1,800km(青森-鹿児島くらい)とかあるので断念。おとなりカンボジアのアンコールワットのほうがぜんぜん近い。

ホーチミンでは結構あめに振られたので、あいまあいまにぶらぶらした感じだけど、セブとの対比もあってなかなかおもしろかったです。ホーチミンは都会で、商魂たくましいアジアっぽいイメージ。
休みとらせてくれたみんなと付き合ってくれた遠山に感謝。いろいろ勉強になりました。

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